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CRAFT LETTER | クラフトレター

300年もつ木造の家を建てる、再生する。”石場建て伝統構法”でないと実現できない、日本の木造建築の神髄とは

NOV. 06

GOSE,NARA

前略、悠久の歴史を誇る奈良の地で、300年愛され続ける木造建築に触れたいあなたへ

古代豪族が歩いた道、奈良県御所(ごせ)市を南北に走る葛城古道(かつらぎこどう)。金剛山と葛城山を西に見上げながら、のどかな田舎の風景の中に遺跡や寺社が点在する道すがら、およそ百年前と変わらぬ景観を形成している名柄地区。まるで時が止まってしまっているかのような静寂の中にも凜とした歴史の品格が漂う町並みの一角に、「(株)木造建築 東風(こち)」がある。

東風が兵庫県伊丹市からこの地に移転して5年になる。代表取締役で一級建築士の佐藤仁氏は言う。

「御所のこの地で出会った築110年の古民家に一目惚れしたのです。50年間空き家だった土地付きの場所を事務所にリフォームしました」

(株)木造建築東風 / 日本の伝統と文化を大切にした木造建築を、世界中へ発信していく意味をこめてそれを和風の読み方にした。東風とは春風の意で、拾遺和歌集・菅原道真の歌で、「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」とある。 経営理念は、「世界に、300年先も美しい風景を」
「(株)木造建築東風」 / 日本の伝統と文化を大切にした木造建築を、世界中へ発信していく意味をこめてそれを和風の読み方にした。東風とは春風の意で、拾遺和歌集・菅原道真の歌で、「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」とある。 経営理念は、「世界に、300年先も美しい風景を」

石の基礎の上に柱を置き、構造材の締結には木材しか使わない“石場建て伝統構法”

東風の事務所で、ふと足下に目を向けると、一尺四方もあろうかという黒光りする大黒柱が、四角い礎石の上に百年以上も前から鎮座している。

佐藤氏によれば、日本の築80年以上の古民家は、ほぼ全てが“石場建て伝統構法”という世界最古の木造建築・法隆寺と同じ工法で建てられている。柱は石の上に載っているだけで、建物と礎石とは繋がれていない。また、何十種類もある構造体の緊結方法には、金物を使わず、木の栓を用いるという。

それに対して、現在一般的につくられている在来工法の家は、金物で柱と梁を緊結し、基礎に建物をボルトで固定するよう義務付けられている。在来工法による家の寿命が長くて100年程度なのは、この金物(ボルト)が錆びてしまうからだ。

「法隆寺は築1300年。日本国内にある築千年以上の社寺は20軒ありますが、そのうちの18軒が奈良にあります。住宅で一番古いのは築500年。築100年、200年の古民家をあと200年、100年問題なく住み続けられるようにするのが、よそにはできない東風の主な仕事。石場建て伝統構法ならそれが問題なくできるのです」(佐藤氏)

「技術的に簡単な在来工法の家は、戦前くらいから始まって、戦後住宅供給を迅速にするためにそれしか建築基準法として認められなくなっていました。しかし、阪神淡路大震災をきっかけに伝統構法の研究がなされるようになり、柔らかい反面、粘り強さに優れた伝統構法の家は、力が加わってもエネルギーを吸収したり、逃がしたりすることができるので、在来工法の家よりも倒壊しにくいことが実証されたのです」(佐藤氏)

佐藤 仁(Hitoshi Satou)氏  株式会社 木造建築東風 代表取締役 一級建築士 / 1994年関西大学工学部建築学科卒業後、京都で数奇屋建築を手がける(株)鈴木工務店で勤務。京都の数奇屋建築のつくり方・考え方を修得。2000年同社退社後、サトウ都市環境デザイン設立。2009年名称を(株)木造建築東風に改称。 2016年事務所を奈良県御所市へ移転。現在に至る。
佐藤 仁(Hitoshi Satou)氏 「株式会社 木造建築東風」 代表取締役、 一級建築士 / 1994年関西大学工学部建築学科卒業後、京都で数奇屋建築を手がける「(株)鈴木工務店」で勤務。京都の数奇屋建築のつくり方・考え方を修得。2000年同社退社後、「サトウ都市環境デザイン」設立。2009年名称を「(株)木造建築東風」に改称。 2016年事務所を奈良県御所市へ移転。現在に至る。

300年愛され続ける石場建て伝統構法の家をつくるために、「東風」が大切にしていること

「100年ももたないうちにゴミになってしまうものを、自分が増やすわけにはいかない」と言う佐藤氏。もちろん石場建て伝統構法は、その技術に相応しいだけのコストがかかるが、そのコストを支払ってもなおありあまる価値があることは、その佇まいに触れてみるとすぐに理解できる。後生の大工や住まい手が、「この家は潰したらあかん、残さなあかん」と思わせるようにつくっておくには、「東風」が大切にしている3つの重要なポイントがあるという。

その第1が、300年の耐久性のある材木を使うこと。もちろんそのためには、良質な材を提供してくれる、優れた林業家の力が必要だ。

その第2が、300年の耐久性を持つ駆体をつくること。そのためには、構造材の緊結に金物を使わない、熟練した職人の力が必要となる。

そして、第3番目に初めて自身を登場させるのが、謙虚な姿勢を終始崩さない佐藤さんらしいが、300年経っても普遍性のある美しい建物をつくること。つまり優れた設計力が必要となる。

そして私たちは、挨拶も早々に、「東風」が大切にしているその3つを巡る小さな旅に出た。

吉野杉を知り尽くす山守(やまもり)さん、福本雅文さんに会いに川上村に行く

御所市から熊野方面に向かって吉野川沿いを延々と遡ること車で1時間半。奈良県吉野郡川上村に、福本林業の福本雅文さんは待っていた。霊峰大峯山や大台ヶ原に連なる山また山の川上村での営みは、古くは代々林業に限られていたという。

「一般的な柱は、樹齢30〜60年のものを使いますが、東風は100〜120年くらいの木が多い。他の地域だとせいぜい80年が最高クラスだけど、吉野だと100年の木はふつうにある。ただ、1本、2本であれば、市場でも調達できるが、これだけ良質な木材を100本、200本とまとまった数で揃えようとすると、吉野の山を知り尽くした福本さんの右に出る人はいない」と佐藤氏は言う。

吉野杉の植林の山を先導する福本雅文さん。
吉野杉の植林の山を先導する福本雅文さん。

この日、福本さんは日本最古の人工林の一つとされ、日本遺産に認定されている下多古(しもたこ)村有林にある樹齢400年の杉の大木まで案内してくれるという。朝から雨が降りしきるなか、下多古口からさらに林道を車で上り、さあここからは山登りと、福本さんが軽トラから一歩足を踏み下ろしたその瞬間、雨が止んで天空の雲間から虹色の光が覗いた。

登坂口では密集していた吉野杉群は、標高が高くなるにつれ、その間隔が広く、幹が太くなっていくのが分かる。ここは樹齢何年と、それらの植生を解説しながら軽やかに登っていく70代も後半の健脚に付いて行くのは、肩で息をするしかない。

4、50分登っただろうか。急に視界が開け、苔むした巨石群を左上に見ながら進んだその先に、樹齢400年を数えるその木はあった

樹齢400年の吉野杉の前で、福本さん(左から2番目)、佐藤さん(右から2番目)と東風スタッフ。
樹齢400年の吉野杉の前で、福本さん(左から2番目)、佐藤さん(右から2番目)と東風スタッフ。

下山途中、辺りは急に暗さを増し、福本さんがアスファルトの林道まで戻った時には、すでに雨は再び本降りの様相を呈していた。

「川上村の林業は、昔から山守制度がありまして、山の土地を資産家の方に売って山持さんになってもらい、自分たちは山守として生計を立てて来ました。山持さんが所有者で、山守さんが経営者です。室町時代に植林が始まったとされていますが、私は明治期の曾祖父の代から数えて4代目です」と語る福本さん。

「吉野杉の特徴はいろいろあるんですけど、川上村は奥地ですから、限られた土地にいっぱい植えていました。一般的には1ヘクタール3000本くらいのところを、8000本から12000本と、ものすごい密植にして、枝打ちをせずに伸ばすと、結果として、目が細かい、節のない木ができあがるのです」(福本さん)

「昔は、吉野の杉は、90年くらいで皆伐するのが一番効率がいいと言われていました。90年で植え替えて、足場、柱材を間伐していく。植林してから5〜10年で芽打ちをして、5〜6センチで丸太を切って、15年くらいでもう一回捨て切りをして、30年くらいで足場丸太用に切る。今は足場材はいらないので、捨て切り間伐になります。柱として使えるには、60年以上。丸太として伐採するのは、70〜80年。何回も、何回も間伐するんですよ。切ったばかりの時には、色が黒くて水気が多いので、葉をつけたまま、その場に置いて葉枯らしさせます。3ヶ月以上葉枯らしするとピンク色のものすごくいい色になるんです。そして、木の香りがきついのも吉野杉の特徴ですね」(福本さん)

市場の木材のほとんどが、60〜130度で約3週間くらいの短い期間で乾かす人工乾燥です。しかし、長く木を使うためには、葉をつけたままで光合成をさせて、水分を抜く伝統的な乾燥法こそが、300年持つ要因になるのだと、佐藤氏は確信している。

「林業の課題ですか、いっぱいありますよ」と苦笑する福本さん。「今は、皆伐が少のうなりましてね。90年、100年くらいの木では、(値段が安くて)販売することはできません」(福本さん)

「東風」の印象について尋ねると、「佐藤氏には、本当に教えてもらっています。なぜかというと、木を大事にするんです。私ら木は育てますが、それがどういうとこに使われているかは実は全然知らんのです。市場では曲がった木なんか扱ってくれる業者なんておらんので、山ではほとんど捨ててました。それを佐藤さんは、曲がった檜を梁材としてどんどん使こうてくれる。木を大事にしてくれる人やなあと。昔の名匠はそんな人いましたが、久しぶりにすごい人に出会いました」(福本さん)

伝統建築の名工、藪中日出男さんに会いに、東吉野町へ行く

川上村を後にして、宇陀方面に北上して向かったのは、東吉野村にある「東風」の工房。ここで第2に大切にしていること、熟練した職人の技が見られるという。

もともと佐藤氏が福本さんと出会ったのは、福本さんの娘さんの家の新築を請け負ったのがきっかけ。その時、福本さんから大工はこの人でと指定されたのが、藪中日出男さんらだった。

前職で、京都の数寄屋建築を数多く手がけ、日本有数の棟梁達を相手にしてきた佐藤氏の目にも藪中さんは、「彼らに勝るとも劣らない、相当腕のいい職人」と映った。センスが良く、仕事が綺麗。そんな職人の地元で、一緒に仕事がしたいというのも「東風」が奈良に事務所を移転した理由。藪中さんにしても、もう自分は弟子をとるほどの年齢でもない。「だったら東風の社員として藪中さんらに入ってもらって、若手を交えてみんなで一緒にやろうよ」と、そんな願いから生まれた工房であるという。

藪中さんによる鉋(カンナ)がけ。10〜30ミクロンの世界の神業。「刃は、目で見て調整しているというよりは、削った時の感触とか、削り花、かんなくずの均一さなどを見たり触ったりした感触で、数ミクロンを叩いて調整している」と佐藤氏。
藪中さんによる鉋(カンナ)がけ。10〜30ミクロンの世界の神業。「刃は、目で見て調整しているというよりは、削った時の感触とか、削り花、かんなくずの均一さなどを見たり触ったりした感触で、数ミクロンを叩いて調整している」と佐藤氏。
藪中さんの兄弟子、上田晴巳さんによる、ちょうな削(はつ)り。角材の面取りをしている。無骨で美しい木目が浮かび上がる、伝統的な技法。
藪中さんの兄弟子、上田晴巳さんによる、ちょうな削(はつ)り。角材の面取りをしている。無骨で美しい木目が浮かび上がる、伝統的な技法。

材と技術と、優れた設計力の融合を体験するために再び御所に行く

東風の宿。大阪の都心部から車で50分。リノベーションされた木造古民家。とても静かな古い町並みの中にあり、落ち着いた時間を過ごすことができる。地元の食材でつくった和食のケータリングや、出張シェフによる料理も紹介が可能。
「東風」の宿。大阪の都心部から車で50分。リノベーションされた木造古民家。とても静かな古い町並みの中にあり、落ち着いた時間を過ごすことができる。地元の食材でつくった和食のケータリングや、出張シェフによる料理も紹介が可能。

東吉野町を後にして、御所に戻った時には、すでに日はとっぷりと暮れていた。ここは、「東風」の事務所のすぐ近くにある「東風の宿」。築45年の木造(土壁)で、延床免責90帖の民家を東風が民泊施設としてリノベーションし、運営を始めた施設。

名柄地区にひっそりと馴染んだその佇まいとは裏腹に、引き戸を開けて一歩玄関に入ると、たちまち吉野杉の芳醇な香りに包まれて、まるで神社に拝殿するかのような清々しい空気感に魅了される。日本人として久しく忘れていた温かみのある存在に、「おかえりなさい」と声をかけられたような気がしたのは単なる幻聴だろうか。

佐藤氏は、「東風」が大切にしている第3の設計力について説明する。

「300年間家をもたせるということは、30年後でも100年後でも、『昔こういうの流行ったけど』と、古くさいものになったらだめなんです。だから、派手さはなくて、伝統的なデザインなのですが、それをいかに洗練されたかたちにするか。例えばここの格子でも、縦と横の板が一定のリズムで組み合わさっているだけなのですが、板厚が7ミリではやぼったいが、4ミリ半だとシュッとする(関西弁で美しいの意味)。格子の横幅の24ミリが30になるとやぼったい。もちろん細工はその分難しくなるので、職人の腕が必要になる。寸法とか、素材とか、面の取り方とか、プロポーションとかに細心のこだわりを持ちながら、何の変哲もない四角を綺麗に繊細に見せる。そういうことの積み重ねで家ができているんですよ。形に派手さがないので、素材がよくないと見られないし、技術がないと美しくない。ある特定のデザイナーの個性ではだめなんです。世代を超えて美しいと評価されるデザイン。そこが東風の設計力なんです」(佐藤氏)

岡本千春(Chiharu Okamoto) 株式会社 木造建築東風 取締役 一級建築士 / 大阪府東大阪市に生まれ。子供の頃から日本の文化に触れることが大好きで、京都、奈良の古建築や古い街並みを見たり、美術館、博物館に行って過ごした。前職は、アパレル勤務。東風の家が、温もりや安らぎを感じる造りになっているのは、岡本さんの感性による部分が大きい。東風の宿では、ガラス戸のちょうな削りによる曲線の取っ手(写真)や、東吉野の手漉き和紙を使った壁の墨汁による色彩などは、岡本さんのアイデア。
岡本千春(Chiharu Okamoto) 「株式会社 木造建築東風」 取締役、 一級建築士 / 大阪府東大阪市に生まれ。子供の頃から日本の文化に触れることが大好きで、京都、奈良の古建築や古い街並みを見たり、美術館、博物館に行って過ごした。前職は、アパレル勤務。「東風」の家が、温もりや安らぎを感じる造りになっているのは、岡本さんの感性による部分が大きい。東風の宿では、ガラス戸のちょうな削りによる曲線の取っ手(写真)や、東吉野の手漉き和紙を使った壁の墨汁による色彩などは、岡本さんのアイデア。

「とにかく目が詰まっていて、素直な木が欲しいと言うことは、明確に福本さんに伝えています。素直とは、できるだけまん丸な木、材として仕上げた時にいい味が出るんです。東風のデザインは、控えめでいびつなものがない。そういうふうに作らないと、テーブルの木目とか素材に目がいかないんです。気がつかなかったり、わからないくらいがちょうど良く、結果的に素材の良さだったり、木目の美しさが浮かび上がってくるようなデザインにしています」(佐藤氏)

東風の宿
「東風」の宿

忘れてはならないのは、伝統構法でありながら、佐藤氏は、最新の設計技術を導入しているということ。

「東風の宿では、高気密・高断熱を追究して、床面が18〜20度で一番上でも23度と、一階も二階も温度差がないのです。隙間風の要因になる外壁に面するコンセントをできるだけなくして、家一軒で僅かA4一枚分の隙間に抑えています」(佐藤氏)

300年もつ家は、300年間快適であり続けるということ。

優れた林業家の力。熟練した職人の力。優れた設計力。まさにその3つが結実した日本の伝統建築を心ゆくまで堪能できる、奈良県御所市を訪問してみたいと思ったアナタへ。

CRAFT LETTERでは、奈良・吉野杉を使用する伝統建築工房で、あなたのためだけの時間を職人さんに作ってもらうことができます。その考え方、技法に触れ、ただ直接話すもよし、家を建てる時の相談や吉野杉の原木を見る体験等の調整が可能な職人さんに出逢う旅にでてみませんか?

まずは、以下フォームよりお気軽にご相談・お問合せください。

執筆:塩川浩司・編集:小田敬次郎

Editor's Note

編集後記

奈良県御所市は、人口約2万4500人(令和3年11月末時点)の奈良盆地の西南端に位置し、西には大和葛城山、金剛山が聳え立っています。市域には、「古事記」「日本書紀」「万葉集」記載の古代の地名が多く、「古事記」や「日本書紀」によると、葛城氏と巨勢氏はともに御所市域を本拠とした大和朝廷の時代の豪族で、天皇家の外戚・大臣として権勢を誇っていたと言われています。
歴史ある奈良県で”木”という素材を通してその悠久の時を紡いできたことを、樹齢400年の吉野杉を目の前に感じることができます。ぜひ時間の尊さとこの地に残る”木”と生きてきた人の営みを、人生の4倍以上の時間をかけて育ってきた樹齢400年の吉野杉と出会う旅を通して楽しんでみてください。
(CRAFT LETTER編集長:岡本幸樹)

ぜひ、奈良県御所市へ遊びに来てください!

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