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CRAFT LETTER | クラフトレター

歴史と共に挑戦し続ける竹材メーカー 「竹虎」。100年以上歴史をもつ彼らが“人々の心を打ち続ける理由”とは

JUN. 16

SUZAKI, KOCHI

前略、“倒産”目前でも“挑戦”を諦めなかった職人パワーに触れたいアナタへ

高知県須崎市安和(あわ)地区。

人口約700人、太平洋を一望できる無人駅がある穏やかな街、安和。そこに、世界から注目される“竹”を扱う、竹材メーカーがある。

明治27年(1894年)創業。100年以上の長い歴史を持ちながらも、日々新しいことに挑戦し続ける「竹虎株式会社 山岸竹材店(以下、竹虎)」。

今回は、「竹虎」で4代目社長として活躍し、高い技術と柔軟な発想力で多くの人を魅了する山岸義浩氏に“人々の心を打ち続ける理由”をお伺いました。

山岸 義浩(Yoshihiro Yamagishi)氏 竹虎株式会社 山岸竹材店 代表取締役社長 / 創業明治27年(1894年)から続く老舗竹屋の四代目。 イギリスBBC放送が海外から取材にくるような日本唯一の虎斑竹(とらふだけ)を販売したいと1997年にサイト構築するも大失敗。2000年恩師イージー岸本栄司氏に出会いゼロからスタート。虎竹という地域資源のブランド力を再発見。竹林での伐採から製造、商品開発、販売までインターネットを活用して「豊かな竹のある暮らし」を全国に情報発信する。
山岸 義浩(Yoshihiro Yamagishi)氏 「竹虎株式会社  山岸竹材店」 代表取締役社長 /創業明治27年(1894年)から続く老舗竹屋の四代目。 イギリスBBC放送が海外から取材にくるような日本唯一の虎斑竹(とらふだけ)を販売したいと1997年にサイト構築するも大失敗。2000年恩師イージー岸本栄司氏に出会いゼロからスタート。虎斑竹という地域資源のブランド力を再発見。竹林の育成・管理・伐採から製造、商品開発、販売までインターネットを活用して“豊かな竹のある暮らし”を全国に発信する。

虎皮模様の美しい“奇跡の竹”に魅了される

“竹”と“日本人”の関わりが深いことを、アナタはご存知だろうか。

軽くて丈夫、なのに加工性が高く、手に入りやすい。そんな理由からか、竹と日本人の歴史は縄文時代にまで遡る。流れゆく年月の中、竹は、農業や漁業、建築にも使用され、日本人の生活や文化に寄り添ってきました。

日本で主に流通している竹は、“三大有用竹”と呼ばれており、孟宗竹(もうそうちく)、真竹(まだけ)、淡竹(はちく)の3種類。

しかし、「竹虎」 が取り扱う“虎斑竹(正式名称:土佐虎斑竹 / とさとらふだけ )は、淡竹の仲間でありながら、海外から“ミラクルバンブー”と呼ばれる唯一無二の奇跡の竹。表面に美しい“虎皮状の模様”が入っており、その豊かな色づきは、まさに自然の意匠。同じ柄は二つとしてない、とのこと

「虎皮状の模様は、山の自然が勝手に生み出しているんです。人が創り出したものじゃない、自然が創り出した良さが、虎斑竹にはありますね」(山岸氏)

“虎斑竹”は、なぜ日本ならず海外からも注目をされているのだろうか。

それは、唯一無二の美しさはもちろんのことながら、虎斑竹が須崎市安和地区でしか生育しないことにも理由がある。さらにその生育範囲は、安和地区の中でも1.5キロ程度しかない小さな谷間の内側のみ。

かつて、植物学者の牧野富太郎氏が自園に虎斑竹を移植し育てたが、何故か移植したものでは虎模様が消えてしまう。他の地でも同様だったと言い、虎斑竹が安和地区でしか成育しない理由は、今もなお解明されていない。

「“竹虎”は、元々高知出身ではないんです。創業したのは大阪。でも、安和地区の“虎斑竹”を知って、魅了された2代目の祖父が高知に移る決意をしたそうです。山岸家が虎斑竹に魅了されて約100年。これまで100年紡いできたものを、これからも紡いでいきたいという思いは強くあります」(山岸氏)

江戸時代には、土佐藩の山之内家に年貢の代わりに献上されていたという、由緒正しい竹。時を越え、今もなお、その美しさは健在である。様々な形で現代人を楽しませている。

「竹虎」にはチャレンジし続けた“素地”がある。あえて個性的なものを生み出し、人目を引く重要性

「竹虎」は、虎斑竹の伐採・餞別はもちろんのこと、竹皮草履(ぞうり)、竹ざる、竹かご、花籠、竹炭、竹酢液など様々な竹細工を製造、販売している。

製造の様子や商品の紹介は、「竹虎」のYouTubeチャンネルでも発信されており、長年培われ守られてきた鮮やかな職人技のもと、一つ一つ丁寧に作られていることがわかる。

なかでも「竹虎」と言えば、一度見たら忘れることのできない、度肝ぬかれる個性的な竹細工たちを語らずにはいられない。

“チャレンジラン”と称し、日本各地を走り、2018年“世界竹会議”の開催地メキシコへも渡った“竹虎電気自動車(竹トラッカ―)”や、ボックスカートレースでスペインの街を走りぬいた竹ソープボックスカー“REIWA125号”。TV番組の企画で作った“超巨大100倍竹水鉄砲”などなど。

あえて作品の全てを竹からつくる。そこにロマンを感じずにはいられない。 熟練された技で作り上げられた、個性的な竹細工の数々には、どんな想いがあるのだろうか。

「実は新規性があっても、一体何の役に立つのか分からないような作品を、職人さんは作ってくれないんです。ですが、今まで“竹虎”が作ってきたような“青竹踏み”や“花籠”という伝統的な作品を見ても、若い人たちには響きません。だからこそ、個性的な“竹虎電気自動車(竹トラッカ―)”等を作って、人目を引く必要があるんです。きっかけがなければ、竹に足を止めてもらうことはできないですからね」(山岸氏)

「TV番組の依頼で、巨大水鉄砲を作った時もありました。あの時は、本当に試行錯誤の連続で。全然できないんですよ(笑)。けれど、私たちは今までもずっとチャレンジしてきたので、素地があるんでしょうね。竹の電気自動車を作った時も同じで、普通は誰もやらないことを、試行錯誤しながら作り上げる。そしたら、その経験が次に活きてくる。“これは作ることが出来ない”と思っても、“前回チャレンジして楽しく出来たから、次も出来るはず!”って。そしたら職人も進化して、積極的に自分たちで考えて行動してくれるんですよ」(山岸氏)

竹への愛から、3年に1度、世界で開催される“世界竹会議”にも出席され、様々なメディアに引っ張りだことなる山岸氏。情熱あふれる言葉と、力強い笑顔に思わずこちらも笑顔になってしまう。

あったのは“時間”と“情熱”だけ。苦境の中、手探りで始めたのは“インターネット販売”

今でこそ、竹業界では知らない人はいないほどの知名度の高い「竹虎」ですが、ここまでの歩みは決して、順風満帆ではない。

「昔はね、毎日毎日辞めたいと思っていましたよ。僕の家は、代々竹屋なんで、小さい頃からずっと竹を傍で見てきて、“なんや、こんな竹。こんな誰からも見向きもされない仕事、くだらん。”ってね。当時は職場に行っても全然面白くなくて。そんな時代が8年くらいありました。ですが、30歳くらいのときに、“あなたの仕事はすばらしいね。竹を見ると、どんなに疲れて仕事から帰ってきても癒される。あなたの仕事は最高や。”って言ってくれた方がいたんです。その瞬間、“くだらない”と思っていた仕事が、こんなにも人の役に立っているんだと、気づかされました」(山岸氏)

お客様の言葉をきっかけに「やってやろう!」と息を吹き返した山岸氏だが、竹産業の業績は、海外から輸入される竹製品のあおりを受けて減少が続いており、「竹虎」の売上も苦しい状況に陥っていた。

赤字続きの中、商品を卸すために、ありとあらゆるデパートや物産展に足を運んだ山岸氏。デパート周りが続いた時は、1ヶ月程家に帰れず、当時生まれたばかりの我が子の写真をみながら日々の営業を踏ん張り続けていたという。

「いろんな人に頭を下げ続けましたね。土下座もした。でも、当たり前ですが、そんなことじゃ物は売れないんですよ」(山岸氏)と、寂しそうに笑う。

“倒産”の2文字が本格的に脳裏をかすめ始めた頃、山岸氏は“インターネット”と出会う。

「1996年頃に、インターネットで高知の特産物である “文旦” を約100万円売ったお店があったんですよ。今でこそ、全国でも文旦を知っている人は多いですが、当時はまだマイナーな果物でした。それなのにインターネットを使って、文旦を100万円も売った。今でこそ100万円という売上は普通かもしれませんが、当時は1億円くらいの衝撃を受けましたね。同時に、“これは竹もいけるんじゃないか”って思ったんです」(山岸氏)

文旦をきっかけに、1997年から手探りで、インターネット販売を始めた山岸氏。けれども最初の3年間は全く売れなかったという。

 

「インターネットで販売を開始して、最初の3年間の売上はいくらだったと思いますか?・・・なんと300円!たったの300円なんですよ。当時は、真っ暗な宇宙の中に一人でいるような気持ちでしたね。ですが、インターネットは紙媒体と違って、無料でたくさん書けるし、何回でも更新できるじゃないですか。それが画期的でしたね。お金も無いし、社員もどんどん辞めていく。けど、時間だけはたくさんあった。だから自分たちのことを、どんどん書いて発信しました。僕らはね、それしか無かったんですよ」(山岸氏)

小さな町の大きな夢。竹で地域を変える“NOバンブー!NOライフ!”

「少しずつインターネット販売が世の中に浸透し、運よくいろんな人たちに見てもらえて今がある」と語る山岸氏。そんな「竹虎」のHPは、圧巻の一言に尽きる。

情熱のこもった文章と愛情あふれる写真の数々。HP越しでさえも、その情熱をヒシヒシと感じる。しかも、「竹虎」のインターネットショップはその後、数々の賞を受賞することになる。

当時、借金まみれで、従業員も離れていくなか、それでも諦めず、挑戦し続ける山岸氏。そのバイタリティは、一体どこからくるのだろう。

「そんなかっこいいもんじゃないですよ。僕らには竹しかないですから。NOバンブー!NOライフ!安和地区の住民は今700人しかいませんが、近々さらに半分近くまで人口が減ると言われています。安和地区が生き残っていくには、竹しかないと思ってます。本気で、竹から地域を変えられると思うんです」(山岸氏)

最後に、そんな山岸氏が今後やってみたいと思う事を聞いてみた。

「やりたいことはたくさんあります。スペインで参加したボックスカートレースを日本で開催したいなぁとか。今は、プラスチックのボックスカートで参戦するチームばかりなので、環境問題を意識して、100%竹で作ったボックスカートで参加してみるとかね」(山岸氏)

「あ、とっておきのご紹介があったんだ!実は、9月18日の”世界竹の日”にあわせて作った、“青竹踏み体操”をYouTubeで公開しています。社員全員で踊ってるんですよ。座りっぱなしの仕事の方が多いと思うので、ぜひこれを見ながら、たまに動いて身体をほぐしていただきたいですね。ぜひ見てみてください!」(山岸氏)

山岸氏の情熱は留まる事を知らない。

小さな町の大きな夢。 「竹虎」を支えてきた安和地区でしから生育しない虎斑竹と、「竹虎」を支える人々のエネルギーが、私たちの心を笑いとともに刺激する。

竹虎が“人々の心を打ち続ける理由”は、山岸氏を筆頭に、「竹虎」のメンバーが貪欲に、諦めず、チャレンジし続ける姿勢にある。

虎斑竹を使用した“竹細工”の伝統技術を直接肌で感じたいと思ったアナタへ。

CRAFT LETTERでは、高知・虎斑竹を使用した“竹細工”工房で、あなたのためだけの時間を「竹虎」の職人さんに作ってもらうことができます。その考え方、技法に触れ、ただ直接話すもよし、オリジナルの商品を相談することも可能な職人さんに出逢う旅にでてみませんか?

まずは、以下フォームよりお気軽にご相談・お問合せください。

執筆:芳村 百里香
取材・編集:高山 奈々
筆者プロフィール 芳村 百里香 Yurika Yoshimura 1987年8月生まれ、奈良県生駒郡出身。大学時代に京都の大学で知った本場高知のよさこいに魅せられ、2012年に高知市に”よさこい移住”をし、2015年には高知市から「よさこい移住応援隊」として委嘱を受ける。その後、止められない高知愛を綴るため「高知移住ブログ」を書きながら、フリーライターとしても活動中。

Editor's Note

編集後記

須崎市は、人口約2万人の高知県の中心部に位置し、太平洋に面した街です。須崎市は昭和29年10月1日、須崎町を中心に多ノ郷村、浦ノ内村、吾桑村及び上分村の5か町村が合併して誕生しました。創業127年の竹虎さんは、初代宇三郎が明治27年に創業以来ずっと虎竹を原材料に商売をしてきました。須崎市にある竹虎本店では、虎竹製品はもちろんのこと全国の竹細工や珍しい竹製品、なかなか見られない高価な作家の作品まで竹に関する5000種類近い商品が広い店内に所狭しと並べられています。”竹”という植物を、生活の中の必需品から工芸作品まで幅広く加工する技術は、竹虎さんが代々培ってきた技術の深みを感じさせてくれます。”竹”とい素材の可能性を最大限に引き出すことができる産地が、須崎市にはしっかりと根づいています。(CRAFT LETTER編集長:岡本幸樹)

ぜひ、高知県須崎市へ遊びに来てください!

ぜひ、高知県須崎市へ遊びに来てください!

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