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CRAFT LETTER | クラフトレター

廃業寸前からトップブランドをも魅了する企業へ。世界一薄い絹織物“フェアリー・フェザー”の発案者が大切にした“3つの心得”

APR. 26

KAWAMATA, FUKUSHIMA

前略、“世界一薄い絹織物”の誕生秘話を知りたいアナタへ

福島県川俣町。

ここは、300年以上の伝統を誇る、“川俣シルク”の愛称で知られる絹織物の里。

透けるように薄く軽やかで、羽衣のような絹が特徴の“川俣シルク”、その中でも、とびきりの“薄さ”を誇るのが、今回取材をした「齋栄織物株式会社(以下、齋栄織物)」である。「齋栄織物」を代表するブランドである、世界一薄い絹織物の異名をもつ“フェアリー・フェザー”。

“フェアリー・フェザー”を使って作られたウェディングドレスは、“世界一軽いドレス”と呼ばれ、1着の重さはわずか600g。一般的なウェディングドレスの重量は約10kg以上することを考えると、その重量はわずか1/10以下と想像できない程の軽さとなっている。一時は輸入製品の影響から廃業寸前まで追い込まれるものの、“第4回ものづくり日本大賞・内閣総理大臣賞”や“グッドデザイン賞”を受賞し、トップブランドをも魅了する「齋栄織物」。

今回は、そんな「齋栄織物」の常務取締役であり、シルクで繊維業界に革命を起こし続ける「齋栄織物」の立役者でもある齋藤 栄太氏を取材。誰も実現できなかった“世界一薄い絹織物”を生み出した栄太氏の心得を聞いた。

 

齋藤 栄太(Eita Saito)氏 齋栄織物株式会社社 常務取締役 / 1981年4月1日、福島県川俣町生まれ。家業の織物会社である齋栄織物で、世界一薄い先染絹織物を開発するなど、川俣シルクの可能性を追及している
齋藤 栄太(Eita Saito)氏 「齋栄織物株式会社社」 常務取締役 /1981年4月1日、福島県川俣町生まれ。家業の織物会社である「齋栄織物」で、世界一薄い先染絹織物を開発するなど、“川俣シルク”の可能性を追及している

お客様との雑談から、自らが胸を張って語れる“自社の強み”を生み出す

2013年3月に家業である「齋栄織物」へ入社した齋藤氏。当時を振り返りながら「入社当時は、会社が本当に1番最悪な時期でした」(齋藤氏)と話す。

「当時は、会社をたたむか続けるかという過渡期だったんです。社長である父から、“お前が戻ってこなければ、会社をたたむ” と言われて、はじめて会社の状況を知りました。けれど、当時はまだ学生だったこともあり、僕が会社に戻ったところで何ができるわけでもないことはわかっていました。それでも会社に戻る決断をしたのは、小さい頃から聞いていた “音”を失うのが嫌だと思ったからです」(齋藤氏)

「齋栄織物」には、繊維工場ならではの「トンタントンタン」と織り機の音が響き渡る。その音は、壁を何枚も挟んだ事務所内でも聞こえ、間近で聞いた後は、鼓膜がビーッンっと震えるほどだ

自働織機が並ぶ工場内。部屋いっぱいに、ズラリと並ぶ織り機は60台ほど。数もさることながら、工場内に入った瞬間にその大きな音に圧倒される。
自動織り機が並ぶ工場内。部屋いっぱいに、ズラリと並ぶ織り機は60台程。数もさることながら、工場内に入った瞬間にその大きな音に圧倒される。

「どこにいても、この “音” が聞こえるんですよ。僕は小さい頃からこの場所で過ごしてきたので、この音がなくなるのは寂しかったんです」(齋藤氏)

入社してからは、仕事を覚えるために、職人さんから仕事を教わりながら、営業にも出ていた齋藤氏。そして、営業先で出逢うお客様の一言が、「齋栄織物」の躍進に繋がっていくことになる。

「営業先のお客様に “齋栄織物は敷居が高い” と言われることが多くて、驚きました。シルクのお高いイメージが先行しているのか、会社として発注しにくい雰囲気があったのか、詳細はわかりませんが、商品を売っている企業としてお客様から “敷居が高い” と思われているのはまずいと思ったんです」(齋藤氏)

お客様の声を受け、敷居を下げるために門戸を開こうと、いろんな展示会への単独出店を始める。さらにそこで多くのお客様の声を耳にすることになる。

「新規のお客様たちから、“他にもシルクをつくっている会社はあるけど、齋栄織物のシルクは何が違うの?” と聞かれるようになったんです。当時、その質問をもらう度に、僕は何も答えられなくて。このままではダメだと、自社で何ができるかを社長と考えるようになりました」(齋藤氏)

ちょうど自社で何ができるかを考え始めた頃、ブライダル業界の第一人者でもあるデザイナー桂由美氏との雑談の中から、「齋栄織物」でしかできないシルクのヒントを得る。

「桂さんとはもともと会社でお付き合いがあったので、営業に伺ったんです。打合せの合間に、桂さんと雑談をしていたら、不意に、“齋藤さん、すごい軽い生地持っていない?” と桂さんに聞かれて。詳しく話を聞いてみたら、当時のウェディングドレスに疑問を持たれていたんですよ」(齋藤氏)

ウェディングドレスで着飾り、結婚式を過ごす花嫁さんにとって、結婚式当日は人生最高の1日でなくてはいけないにも関わらず、当時のウェディングドレスは、非常に重たく、花嫁1人では身動きひとつ取ることもままならないことに疑問を持っていた桂氏。「花嫁がダンスを踊れるくらい軽いドレスをつくりたい」と、齋藤氏に依頼をした。

「僕らがつくっているシルクは、“川俣シルク”というブランドなんですが、この川俣シルクの特徴のひとつが薄手であることなんです。さらに、齋栄織物のエッセンスとして、すでに自社で確立させていた “先染め(生地を織ってから色を染めるのではなく、糸を染めてから生地を織る手法)” を合わせて、“世界一薄い先染め織物” に挑戦しようと、2009年に開発をスタートしました」(齋藤氏)

「フェアリー・フェザー」
“フェアリー・フェザー”

3年半の試行錯誤の開発期間を経て、世界一薄い先染め織物を完成させた齋藤氏。もちろん、完成した織物を持って真っ先に向かったのは、桂氏の元だった。

「これは後から聞いた話ですが、当時桂さんは、いろんな人に軽いドレスの話をしていたようなんです。いろんな方に薄い生地を探してもらっていたそうなんですが、実際に生地を持ってきたのは僕だけだと驚かれていました。僕も、こんな無茶難題に挑戦する人はそうそういないだろうなと思いましたよ(笑)。でも、需要がなくては商品は売れません。雑談であっても、お客様の声を聞くことを大事にしています」(齋藤氏)

当初、桂氏に持って行った生地は、先染めをしたカラフルな生地だったが、ウェディングドレスは白という桂氏の想いから、白色を軸に桂氏が希望される色を作り直し、制作開始から4年経た後に桂氏のショーで“フェアリー・フェザー”がお披露目された。

自社の商品に“ストーリー”と“名前”をつけることで、商品の価値を生み出す

“フェアリー・フェザー”は、人間の髪の毛の1/6ほどの細い細い糸から織られているが、開発当時は、髪の毛の1/3ほどの糸を使っていたという。

齋栄織物で使用している糸。写真左が髪の毛の1/3程度の糸。右が1/6程度の糸、人間の指紋より細く肉眼で認識するのも一苦労だった。
「齋栄織物」で使用している糸。写真左が髪の毛の1/3程度の糸。右が1/6程度の糸、人間の指紋より細く肉眼で認識するのも一苦労だった。
職人は、手の感覚で糸を操る。感覚もないくらいの細さを操るのはそれだけでも至難の技。写真左の作業で、必要な織物の長さに合わせた糸をまとめ、1本に繋ぎ合わせていく。右は織機に糸をかける前、人の手で3mの針金の穴に決まった順番で、1万本の糸を1本ずつ通す様子。
職人は、手の感覚で糸を操る。感覚もないくらいの細さを操るのはそれだけでも至難の技である。写真左の作業で、必要な織物の長さに合わせた糸を纏め、1本に紡ぎ合わせていく。写真右は、織り機に糸をかける前、人の手で3mの針金の穴に決まった順番で、1万本の糸を1本ずつ通す様子。

「私自身は、ヨーロッパにも営業へ行っていたので、満を辞して当初扱っていた髪の毛の1/3ほどの糸で織った生地を海外展示会に持って臨んでみたんです」(齋藤氏)

しかしながら、結果は惨敗。展示会にきていた30社中、引き合いがあったのはたった3社だったという。

「どんなものでも、商品はストーリーと名前があって初めて価値が生まれる、ということをヨーロッパの展示会で学びました。当時、展示会で出したあの生地は、ただの薄い織物でしかなかったんですよ」(齋藤氏)

この時の経験から、「齋栄織物」では全ての生地に品番ではなく、名前をつけるようになったという。

「アパレル会社さんが1番興味を示すのが “パラシュートクロス” という名前がついている生地なんです。見た目はとても平凡な生地なんですが、数多くの生地を見ているバイヤーさんたちも、この生地を見ると必ず手を止めるんです。“パラシュートって書いてあるけど、どういうこと?” って」(齋藤氏)

パラシュートクロスは、もともと第一次世界大戦中に日本のパラシュートで実際に使われていた生地を現代風にアレンジしている生地という背景からその名がついたという。ただの生地ではなく、ストーリーと合わせて生地の価値を伝えることで、さらに興味を持つバイヤーさんが増えるという。

「生地にストーリーがあることによって、その生地でつくったアイテムにもストーリーが生まれる。ストーリー性が大切にされる現代社会だからこそ、大変ですが、生地に対する想いを、ストーリーと名前にのせて伝えることを大事にしています」(齋藤氏)

「3Dシルク」。齋栄織物では、薄さだけでなく、意匠性に優れ、凹凸ある変化に富んだ外観の生地など、毎年新しい生地を開発している。
“3Dシルク”。「齋栄織物」では、薄さだけでなく、意匠性に優れ、凹凸ある変化に富んだ外観の生地など、毎年新しい生地を開発している。

ヨーロッパでの展示会の半年後、通常、4回脱皮した蚕の繭から糸を取る部分を、3回しか脱皮していない蚕の繭(三眠蚕:さんみんさん)から糸を取り出し、生地をつくる技術を確立した。そして“世界一薄い”という冠をつけた“フェアリー・フェザー(妖精の羽)”を発表し、国内外から大きな反響を獲得することできた。

“複眼的な視点”を持つことで、異業種とのコラボを生み出す

“フェアリー・フェザー”の元となる三眠蚕(さんみんさん)は、当時医療用の縫合糸として開発された糸である。肉眼では見えないほどの細さゆえに、強度がなく、織り機にかけることは不可能とされながらも、齋藤氏は織り機の調整・改良を重ね、糸切れや生地のスリップを防ぐ製織技術を確立させた

織機で織られていた生地。左が川俣シルクの通常の生地。右がフェアリー・フェザー。
織り機で織られた生地。左が“川俣シルク”の通常の生地。右が“フェアリー・フェザー”。

「フェアリー・フェザーをはじめとする “川俣シルク” は、“伝統産業” と言われますが、僕は伝統産業で終わらせたくないんです。川俣シルクを “基幹産業” にしたい。基幹産業にするためには、ある程度数量を売れる体制や商品をつくらなくては、基幹産業にはなれません。だからこそ、量産化にもこだわりました」(齋藤氏)

量産化を可能にした齋藤氏が、次に目をつけたのは“異分野”だった。

「どうしても新規顧客を獲得したかったんです。現代において、洋服等のアパレル分野では、数ヶ月程度洋服を購入しなかったとしても特に困らないくらい、人は多くの洋服を持っているはずです。そのため、基幹産業になることを考えると、どうしてもブライダルやアパレル業界だけでは限界があります。歴史のある業界なので、新たな別の業界に飛び込んでいくことは簡単ではありませんが、新しい業界と繋がりを持つことで、従来なかった市場の開拓ができます」(齋藤氏)

現在、“フェアリー・フェザー”は、耐熱性や抗菌性があることから、工業資材や医療分野においても注目を浴びている。直近では、“フェアリー・フェザー”を活用して再生医療分野での細胞培養を成功させた実例も生まれている。

「発想の転換は意識的にするようにしています。いろんな方向から物事を見た方が、より多くの可能性を見いだすことができると思うので、固定概念に縛られず、複眼的な視点を持つようにと、社員にも伝えています。できているかどうかではなく、意識することがまずは大事なんですよ」(齋藤氏)

すでに異分野への開拓を進めている齋藤氏だが、今後さらにシルクの潜在能力を追求し、航空業界や、地元企業ともコラボレーションを計画中。未来に向かって、大きな挑戦を続ける齋藤氏がとにかく無邪気に、楽しそうに、自分の仕事を話す姿が印象的な取材だった

“川俣シルク”の伝統的な技術を直接肌で感じたいと思ったアナタへ。

CRAFT LETTERでは、福島・“川俣絹織物”の産地にある工房で、あなたのためだけの時間を「齋栄織物」の職人さんに作ってもらうことができます。

その考え方、技法に触れ、ただ直接話すもよし、オリジナルの商品を相談することも可能な職人さんに出逢う旅にでてみませんか?

まずは、以下フォームよりお気軽にご相談・お問合せください。

ライター:高山 奈々

Editor's Note

編集後記

川俣町は、福島県中通りに位置し、伊達郡に属する人口約1.3万人の日本有数の絹織物の産地です。吾妻・安達太良山の麓に広がる信夫地方(福島市中心)、そして川俣羽二重で名を馳せたる伊達地方(川俣町・飯野町(現在は福島市)中心)は、古来から養蚕・機織業が非常に盛んな土地でした。その背景には、この地域のシンボルともなっている奥羽山脈があり、桑の育成に最も適した気候風土であったことが、「東洋一のシルク」といわれる所以とされています。地域の気候が植物を生かし、その植物から蚕が育ち、人や機械の技術によってシルクという素材が生まれる。その素材を最大限生かし、齋栄織物さんの日々のチャレンジにより世界一薄い先染絹織物が生み出されています。自然と生き物の共存によって残る工芸産地のひとつです。
(CRAFT LETTER編集長:岡本幸樹)

ぜひ、福島県川俣町へ遊びに来てください!

ぜひ、福島県川俣町へ遊びに来てください!

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